バルセロナに来たからには、やっぱりサグラダファミリアでしょ。
市場での朝食に1時間かけた後、やっと思い腰をあげて観光へ。
オフシーズンなのか空いててすぐ入れました。
地下鉄をでるとすぐにあのおどろおどろしいようなファサードが視界に入り、思わず驚く。
小学生の時に、何かの教科書の口絵にカラーのサグラダファミリアが。
その奇怪な外観にとても釘付けになったのを今でも覚えてます。
さらに、そのヘンテコな教会は未だに未完成で100年経ってもまだ作っていると知った時には、子供心にその悠長なことにとっても驚き飽きれたものです。
完成は20XX年・・・・って聞いた時には、未来すぎて気が遠くなりました。
21世紀になったら、車が空を飛んでいると思った小学生時代。
空飛ぶ自動車の一方で粘土みたいな教会をせっせと作っている人がいるんだなぁと、妙に関心したり。
その前に人類は21世紀を迎えることができるのか?
最大の難関は1999年7月のノストラダムスの大予言が立ちはだかっていたので、子供の時からとても心配症な私はいつも大真面目にそんなことを考えていたものです。
私の少女時代にくらい影を落としたノストラダムスの話は尽きないのでここでやめておこう。
子供心に21世紀を意識させてくれたのは、ドラえもん(あ、ドラえもんは22世紀か)とサグラダファミリア。
そのアンチテーゼがノストラダムス。
何十年も前に考えていたことが瞬時に蘇るから旅って不思議です。
まあ、こうやっていま、21世紀も10年以上すぎたものの、車は依然空を飛んでくれないので、飛行機で窮屈な思いをして12時間かけてせっせとスペインにやってきて、こちらは予定通り建築中のサグラダファミリアを眺めるわたしがいて。不思議なもんです。
子供の時は、素敵な教会の周りに映り込むクレーンが目障りで、さっさと完成した姿を見たいな、と思ったけれど、途中経過を拝めるのは今を生きている人間だけの特権なのだ。
完成してしまったら、それは過去の遺産になってしまうから。
それに、自分の死後、100年以上も、自分の意志を忠実に守りついでいる人がいるって素敵なことだな。
それって、まだ生きているってことと同じなのかもしれない。
サグラダファミリア、2030年代には完成するらしい。
それをとてつもなく遠い未来だと思わない私は、だいぶ年を取ったなぁ。
もし、完成したサグラダファミリアを見ることが出来たら、今日のこと、思い出すのかな?
ていうか、生きているかな(汗)
神のみぞ知るところです。