カテゴリ:震災のこと( 17 )

1年

 今日であの日から1年。
この1週間、震災報道ばかりで、当事者である我々はその映像を見るたびに心があの時に「引き戻される」感じだった。
この1週間お会いした生徒さんもみな口々に「引き戻される」という言葉を多用していた。
まだ、私たちは振り返る時期に至っていないのだ。あの時の、恐怖、絶望に引き戻されてしまう。


 この1年、福島に住んでいて感じたこと。
みな、口々に「原発さえなかったら・・・」という。そのあとの・・・の言葉は呑みこんだまま。

原発事故がなかったら。
そもそも原発自体がなかったら。

たらればの話をしても仕方がない。
でも、これからの展望を見いだせないここ、福島でおもうのはそればかり。

正直、まだ辛いです。きついです。悲しいし、怒りもまだまだある。
でも、怒りも悲しみも心に秘めたままじっと耐えて暮らしている人がほとんどです、私の周りは。

明るくふるまっていても、奥底には皆傷を抱えたままです。不安も抱えたままです。
将来どうやっていけばいいのだろう、恐怖もまだまだあります。

1年たっても堂々巡り。
あまり見ないようにしていた震災1年報道の番組。それでも気になって、横目で見やった放送内容からは福島も、宮城も、岩手の人も、立場や被災状況は違うけど、まだみんな復興へのスタートラインも見えていないのだと知った。
 次の1年は、東北のみんなが少しは良くなったねと言えるようになっているんだろうか。
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by buonaforchetta2 | 2012-03-11 16:40 | 震災のこと | Comments(5)

震災のこと

 あの時、私に1年後があるのだろうか、いや、明日があるのだろうかと真剣におびえた。
原発からたったの50キロしか離れていない郡山で、いつ爆発するともしれない原発関連のニュースを聞きながらおびえて眠りについた。寝ている間に、もっと悲惨なことになって、明日、目を覚ます前にここもふっとんでしまって私は死んでしまうんじゃないか。
生きた心地がしないというこのこういうことかと思いながら毎日をすごしていました。



 あれから1年。時間の区切りは一体何の役にたつのだろう。進まぬ震災復興、終わらない原発事故後の混乱。
被災県である福島のローカル局は一日たりとも震災・原発のニュースを流さない日はないものの、キー局は震災1年を期に思い出したかのように毎日毎日震災の事を取り上げて放送している。

くだらないワイドショーのネタを前後に挟んで流される震災のトピック。その場だけ、哀しそうな顔をする出演者たちに正直腹がたつ。また11日が過ぎたらぴたっと震災の報道は減るのだろうから。
 そんな話をレッスン中にしたら同じ気持ちでいる生徒さんが何人もいてほっとした。


 カテゴリーに「震災のこと」を追加しました。
震災後の自分の気持ちはどんなふうだったのだろうかと、読み返してみました。
自分だけが見るわけではないから、かなり慎重に言葉を選んで書いた記事もあれば、感情むき出しの記事もありました。そして、書いたけれどアップする気になれずに非公開のまま放置した記事も多数みつかりました。
その時はアップするのが怖かったんだろうと思います、いろんな意味で。
でも、それも今回は全部アップしておきました。アップ出来る心境になっただけ、前に進んでいるのだと思いたいのです。
 
 それでも1年経とうとするこの時点でも、言いたいこと、書きたいことはたくさんあります。怖いと思うこと、腹のたつこと、たくさんあります。何もかもぶちまけてしまいたいと思う反面、その後がこわくもあり、結局何も言えない自分がいます。
今、言えないこと、アップ出来ないことがまたしばらくしたら言えるようになるかもしれません。
誰かに見てほしいというよりは、自分の気持ちを整理するために新しいカテゴリーを設けるに至りました。
時間の区切りは何の意味もないけれど、またたまに立ち止まって自分の気持ちに区切りをつけていけるようになればいいなとおもうのです。



 津波の映像も、荒れ果ててしまった警戒区域(ここは私の幼少の思い出の場所がおおい)の映像もつらくてもう見たくない。今回の3月11日をどう過ごそうか正直まよったけど、いつもの私の暮らし、料理教室をやることにしました。そして、あの時間には、そっとお祈りしようとおもっています。
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by buonaforchetta2 | 2012-03-05 17:51 | 震災のこと | Comments(0)

質量保存の法則

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 うちの隣の公園、3日間にわたって除染が行われました。

 まずは、表土のはぎ取り&コンクリート部分の高圧洗浄。
翌日は、はぎ取った土を、公園に穴をほって、シートにくるんで埋めていました。


 窓越しから除染作業を毎日見守っていました。
公園はできたみたいに、雑草一本も生えてない状態になりました。

昔、理科の授業でこんなのあったなあとふと思う。

質量保存の法則
化学反応の前後で、それに関与する元素の種類と各々の物質量は変わらない

フラスコの中で何かと何かを化学反応をさせて、前後に重さをはかるという実験をやった記憶がある。

除染といっても、結局、集めて埋めるだけ。総量は変わらない。放射能が消えるわけではない。
この公園は、そして、福島県は大きいフラスコか?
 

これが安心なんでしょうか。でも、こんなことでもやった方がいいのかな。
あの事故以来、公園で遊ぶ子がいなくなりました。
よちよち歩きの子から、高校生まで、近所の子たちが集まっていつも賑やかな場所だったのに。
みんなどこへ行ったんだろう。
除染したら戻ってこれるんだろうか。


放射能の問題に心を割いて悩んでいる時もあれば、なんだか、遠い他人事のように思えてどうでもいいような気分になる時もあり、相変わらず気持ちのアップダウンが激しすぎる。

 大がかりな作業をみていて、なんだか久しぶりに現実をバーーンと付きつけられたような思いがする。
 
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by buonaforchetta2 | 2011-12-01 15:15 | 震災のこと | Comments(0)

イタリアで思うフクシマのこと

 イタリアに来る前は、Di dove sei?(どこからきたの?)のイタリア人の質問には極力答えまいと身構えていた。
 しかし、いざこちらにきてみて、その質問をされると、今までは「TOKYOの近くです」と答えていたものの、やはり、正直に「フクシマです」と言っている自分がいる。
そんな話をするのは(ただでさえイタリア語だし)めんどくさいのだけれど、「私は日本人だけどあの震災とも、原発とも何の関係もありません」とは、たとえ赤の他人の今日しかしゃべらないイタリア人相手であっても口が裂けてもいえなかった。
 あの震災も、原発事故も確実に私の一部となっているのだと、遠い遠いイタリアに来て実感することだった。
「フクシマ」から来たといえば、皆一通り驚きはするものの、「今はどんな感じですか?」と聞いてきてお見舞いを陳べてくれます。石を投げられたり、宿泊拒否をされることも今のところありません。
その点では遠い国のイタリアのほうがみな冷静でいてくれるようで、その点では安心しました。


 こちらにきてからは、毎日いそがしく、イタリアのテレビやニュース番組をほとんど見る機会もなく、イタリアの全国紙もまったく目をとおしていません。
フィレンツェかピエモンテのローカル新聞はさらっと目を通したけれどめぼしいものは特に無かったので、断言などはできないけれど、私がこの10日で出会ったイタリア人たちの反応からみると、原発事故はもう昔の出来事くらいにしか思っていないようです。
 まだ、放射能が漏れ続けていること、家を追われて暮らしている人々がいること、子どもをつれて故郷を捨てて逃げている人がいること・・・・、これだけ遠い場所にくると、なんにも情報も興味もないのだなぁということがわかります。

 これは決してイタリア人を責めているのではありません。
日ごろ、昔から私自身がずっと感じていたことで、よそでおこったことは所詮、他人事だということ。世界のあちこちで悲劇的な事件や、紛争などは後をたちません。しかし、そのニュースを聞くたびに胸を痛める自分がいても、それは一瞬でおわってしまう。
たとえば、沖縄の基地問題にしてもそう。「そんなに嫌ならよそに住めばいいのに・・・」としか思ってきませんでしたが、ふるさととは、故郷をすてるというのはどんなことか、知らないからいえた言葉でした。
「何か」をしようとか、それを胸にとどめておこうとか、そういことは、雑事に追われてまったくきえていってしまう。それが普通なのだと思います。

 今まで、いろんな事柄に対して忘れる立場でいた私が、「フクシマ」の人間として忘れられる立場になりました。
だれかを責めたり、憤ったりする気持ちはまったく無いけれど、いままで私が無視し続けてきた人々の苦しみというものが、今、こうやって実感としてわが身にのしかかっています。


こういう立場になってみて初めていえるのは、何かしてほしいのではない。
1人でも、共感してくれて、忘れずにいてくれる人間がいることが何より勇気付けられるということです。


今回のイタリア滞在でも、そんなやさしいイタリア人に出会いました。
今、彼の言葉を思い出すだけで涙が止まらなくなります。
(今もぐずぐず鼻水をたらしながらキーを打っています)
このことは帰国後のブログでまたご紹介できればと思っています。

先ほど、ヤフーニュースで「原発作業員3人目死亡」のニュースをみてふっとここ数日のことをふりかえって、こんなことを書いています。
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by buonaforchetta2 | 2011-10-07 00:44 | 震災のこと | Comments(4)

半年

震災から6カ月が経ちました。
 被災各県はそれぞれの大きな課題を抱えながらこの日を迎えました。



福島の放送局は、原発事故の半年間の記録を各局こぞって放送しています。

内容は、どんな原発報道をしたか、とか、「本当はメルトダウンを防げたはず」という検証番組だったりとか、半年間のダイジェスト版で正直どうでもいい内容でした。そんなの、もうとっくに分かっています。
まだ、事故終息もみえていないのに、総括のようなそんなの流しても何の意味もありません。まだ現在進行形です。
今後どうするのか、どうなるのかが大事なのに。

これからのことは、どこも示してくれません。
だれも分からないからです。私もわかりません。
 

 最近こんな夢を見ます。
福島県から出ようと思っても、電車も走っていない、ガソリンもなくて出たくても出られない。なんとか県境にたどり着くと、他県から返品された福島の「汚染された」農産物の山がバリケードのように積み重なっている。
その山がどんどん大きくなってやがては腐って、それに潰される・・・・。

そんな夢です。うなされて夜中に飛び起きます。
その瞬間は
「ああ、夢で良かった」と思うのですが、すぐ我にかえり、
「なんだ、やっぱり現実だ」
と、途方もない疲労感に見舞われます。

県境にバリケードはありませんし、福島県は閉鎖されたりしていません。
だけど、どうでしょう?

 全員が・・・、とはもちろんいいませんが、見えない壁、福島に対する心のバリケードがあるんじゃないでしょうか?
(放射性物質が不検出にもかかわらず)受け付けてもらえない農産物、石を投げられる福島ナンバー、昨日辞任した「死の町」「放射能うつしてやる」発言の大臣。
 それがすべてを物語っていると思うのです。そんなニュースを耳にするたびに、心がズタズタにされます。

 
 表向きは「放射能のことはきにしていない」という、福島県在住の人はたくさんいますが、全く気にしていない、平気なんて人間はだれ一人いません。

「繋がろう」とか「絆」とかTVでは響きのいいことばかり言っていますが、
中には避難した人と残っている人の間に溝ができたり、放射能に対する意見の違いで対立したり、せっかく生きていられたのに、福島の人の心はバラバラになっていることも少なくありません。

気にしている人も、そうじゃない人も、避難した人も残ってる人も、みんな疲れています。

巷には「がんばろう福島」の言葉があふれかえっていますが、この言葉は私には「我慢しよう福島」に見えます。
 


 半年たってもこれが福島県の現状です。
私のみた夢が、夢だけであってくれれば、毎晩うなされても、我慢できるのに。





たくさん、福島の事を心にとめて下っている方、支援をしてくださる方がいらっしゃるのは重々承知しておりますし、いつも、感謝しています。
それでも、それとは別として、私の記録として、半年の現状を残しておきたいと思い書きました。


 
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by buonaforchetta2 | 2011-09-11 16:42 | 震災のこと | Comments(0)

できること、できないこと

 震災後というか私の場合は原発事故後、いろんなことが変わってしまった。
すぐに変わってしまったものもあれば、徐々に、時間が経つにつれ悪く変化していくものもたくさんある。

あれから約半年がたち、常に圧迫された精神状態で過ごしていた時に比べると、放射線の事を考えたりする時間はだいぶへった。
砂の山の棒倒しのように、知らない間に足ものと砂を少しづつ掻かれていてじわじわと棒---私----が傾いていっているような錯覚にとらわれる。いや、錯覚ならいい。でもこれは現実。

これまでは、自分の人生を決定するのは自分の意思と能力が9割を占めると信じて、目的に向かって歩んできた。だけど、それが今回のような不可抗力により、大切なもの、築き上げてきたものを少しづつ奪われるということは考えもよらないことだった。
 ここ半年ほどは、奪われてしまったものの事ばかりに目をうばわれて、へこみそうになってばかりいたのだが、先日、震災後に久々に友人にあって少し張りつめていた気持ちが楽になった。
 岩手に住む友人と仙台に住む友人、二人に会いに仙台まで出かけた。それぞれ2~3時間づつしかはなせなかったのだけど、被災の内容や程度はみんなまちまちだけれど、それでも生活の根本が変わってしまったことは同じ。その友人たちとの会話は勇気づけられるものだった。
 この友人たちのように変わらず残っている大切なものもたくさんあることに気がつく。

失われたものの事ばかり考えていてもしょうがない。あの日以前のようには私の考えも、生活ももう戻すことはできないのだから、これは神様が与えた人生の転機だと思うようにしないといけないのだ。
 生き方を変えるといえば、大げさだけれど、もうこれまでのやり方では通用しないことの方が多いのだから、私も根本を変えていかないといけないだろう。

 これからも、できなくなってしまったものの多さに嘆くことも多々あるだろう。だけど、それでもまだできること、やれることを大切に生きていかなくてはと強くおもう。
そして、新しいこともたくさんやっていこう、と。
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by buonaforchetta2 | 2011-08-27 18:43 | 震災のこと | Comments(0)

旅行から帰って

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ひとりごと
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by buonaforchetta2 | 2011-07-16 09:39 | 震災のこと | Comments(2)

感動したこと。

スペインのテノール歌手、プラシド・ドミンゴ。
今日の夕方、NHKにてコンサートの模様が放映されていた。
4月10日にNHKホールにて行われたものだった。

声量は大変素晴らしく、普段音楽にまっっっったく興味のない私でも聞き入ってしまう美しい声だった。

なによりも素晴らしかったのは、フィナーレの前に唄った「ふるさと」だった。
言わずもがな、3月11日の東日本大震災の犠牲者に向けてのものだった。
日本語の歌詞を見事に歌い上げ、そして彼の日本を思う気持ちがひしひしと伝わってきた。

画面を通してだけど、会場の一体感もわってきて私もまるでその場にいるかのような気持ちになった。

震災後、いろいろあってすっかりヤサグレてしまっていたけど、彼の歌声は私のそんな心を清めてくれるようだった。久しぶりに感動してしまった。

録画しておけばよかったな。
再放送があったらぜひみていただきたいです。

「ふるさと」のあとしんみりしてしまった会場を再び沸かす、小憎い演出。
すっかりドミンゴおじさまの大ファンになってしまいました。
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by buonaforchetta2 | 2011-05-21 18:10 | 震災のこと | Comments(2)

会津は平和だった


 会津若松のカルチャーセンターの講義にいってきました。
1~3月は冬休みをいただいて、4月は震災の影響でお休みをもらっていたので今年初。

えなりくんの仕事が休みだったのでいつもは高速バスで出かけるところを、車で連れて行ってもらった。
49号線をひた走り、猪苗代湖が見えたところでいつもつけていたマスクを外した。


郡山は相変わらず放射線量が高く(1.36マイクロシーベルト/時)、朝起きてから寝るまで、マイクロシーベルトさんのことを思わない時間はない。
でも同じ福島県でも会津若松市の放射線量は今日は0.16だから、本当に雲泥の差。

久しぶりにマスクしないで外を歩いた。何も考えずに外で息ができることがこんなに有り難いなんて考えたこともなかった。
うれしくて久しぶりに会った生徒サンに「マスク無しで外歩けるっていいですね~♪」といったところ、皆さん、キョトン・・・・。
原発から90キロ離れていて、放射線の影響も少ない会津では、同じ福島県であっても、原発や放射線への関心が薄いんだなぁと、感じました。
別にこれは会津の人たちが悪いんではなくて、人間だれしも自分の身に火の粉が降りかかってくるまでは、どんな惨事であっても、同情はしても最終的には他人事なのだということ。
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by buonaforchetta2 | 2011-05-16 19:35 | 震災のこと | Comments(0)

わんこパスタ

 今月のメニュー。
本当はイタリア帰り(4月は3週間イタリアに行く予定でした。原発でキャンセルしたけど)の私がラクできるようにと思って、4月のメニューは超入門コースのラクチンメニューを組んでいました。
みんな好きだもんね、こういうの。

作るのはホントに簡単で、寄り道しても1時間あれば、前菜もパスタソースもドルチェも出来ちゃう。
でも、ここからが大変だった。

パスタ4種。
てことはパスタを4回茹でなければいけないので、1品食べている間に次のパスタ茹でて・・・・と約30分はずっとパスタ茹でてソースで和えてと私が大忙しとなるちょっと大変メニュー構成でした。
そして食べる方は、4つも次から次へと出てくるのでわんこそばならぬわんこパスタ状態。
私の体力と皆さんの胃袋の勝負ですね(笑)

パスタをゆでているとそちらに神経がいってしまい、ちょっと(私だけ)慌ただしい感じになって申し訳ありませんが、その分、皆さんにはゆったり食事をしていだける時間が増えるので、ここひと月の溜まっていることなどたっぷりしゃべり倒していってくださいませ。

 ずっと避難生活、節制をしていた方が多く、パスタ食べるのひと月ぶりです、ずっとパスタ食べたかったんですという方が多いので、それを見越して決めたメニューではないのですが(震災前に決まっていた内容です)、おしゃべりタイムと、食欲を満たせるメニュー構成で我ながらよかったと満足しています。

ツナ缶とトマト缶と保存のきく材料で作るメニューですので今後また何かあったときのために(何もないのが一番ですけど)、備蓄しておいていただくと使えるものばかりです。

震災直後は断水地区も多く、パスタを茹でるお水が貴重だったため、全然たべられなかったとのこと。
確かに、震災後のスーパーはどの食品も品薄だったのにパスタと酒だけはたくさん在庫がありましたね。
私も震災直後に家じゅうの食べ物をかき集めたらパスタばっかりで、うちは水が出たからよかったものの、断水していたらだいぶ危機だったと思います。
 今後、最低限のお水で作れるパスタ料理などもご紹介していきたいと思います。
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by buonaforchetta2 | 2011-04-21 16:38 | 震災のこと | Comments(0)