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Sonbahar

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10月中旬の郡山滞在。空が澄み渡り、心地のいい空気が流れる秋晴れ続きの毎日を過ごした。
庭・・・・といっても、ほとんど手入れをしていないのでそう呼ぶのは恐縮なのだけども、コスモスやフェンネルがめいっぱい花を咲かせて目を楽しませてくれた。

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 今年の夏の大半は大阪で過ごしたこともあり、全国的に猛暑だっとはいえ、今年の夏は長くそして厳しいものだったので、、本当に心身ともリラックスできる秋を過ごせたのは小さな幸せだった。


そんなとき、ふとトルコ語で秋という意味のソンバハルという言葉の意味に合点がいった。


son=最後の bahar=春という二つの単語から成るトルコ語の秋という言葉。
「最後の春」ってなんだかへんなかんじ。トルコの秋は春みたいな感じなのかしら。
四季を強く感じる日本人とトルコの人々の秋のとらえ方は違うのだろうかと、トルコ語を勉強した時から少し疑問だった。

毎年春というものは厳しい冬の季節の後にやってくるとても心が躍る嬉しい季節。

今年の秋はというと、同じく猛暑という厳しい季節を乗り越えたあとの小休憩のような優しい季節にかんじられた。

なるほど。
厳しい気候の冬と夏の間、夏と冬の間の季節を「bahar」と表現するのだなあと、すべてが腑に落ちたような気持ちになった。

だからトルコ語の春、ilkbaharはilk=最初の bahar=春。
年が明けてから訪れる「最初の春」。
なるほどね。



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秋の花々も、春ほどの鮮やかさはないけれど、夏の暑さを耐え抜いてめいっぱい咲いているのだろう。
庭の手入れをし無さ過ぎて、空き家の代名詞「すすき」が我が物顔ではえてしまったけれど、そう考えるとそんなすすきでさえもかわいらしい。

今年の秋はsonbaharだ。
家の前でそんな事を考えていたら、珍客が目に入った。

シマヘビだ。
ポストの下に、ひと月前に私が刈り取った雑草をつんでおいたのだが、それが枯れ草のようになった隙間に
シマヘビがグネグネと横たわっている。
去年も、放置した枯れ草の間にシマヘビが潜んでいたことがあった。同じヘビかも知れない。

これからレッスンが始まるし、生徒さんを驚かせたら申し訳ない。
棒きれでヘビを突っついておいとまを願った。


レッスン後、ポストの郵便物をとりに外へでると、また同じ場所にヘビがだらしなく横たわっている。
気温がぐんと上がって、とっても気持ちがいい。ヘビがいる場所は日当たりも最高。
ヘビはどうやら日向ぼっこにきているようだった。

よくみると結構長いヘビで、ずっとここの場所に住んでいたヘビなのかもしれない。ヘビのねぐらの上に家を建ててしまったのかもしれないと思うと、新参者は古参のヘビに申し訳なく思ってしまう。
 その日はそっと日向ぼっこをさせてやり、翌朝、ヘビがいなくなったのを確認してから、枯れ草を撤去してごみに出した。

翌日、また太陽が高くあがった時間に、玄関の左側のスペースに同じヘビ発見。
隠れているふりをして丸見えのヘビは、枯れ草がなくなってもまだこの場所に固執しているようで日向ぼっこをしている。

ソンバハル。
あとひと月もしないうちに、木枯らしが吹き始めて郡山は寒くて長い冬に入る。
ヘビも間もなく、冷たくて暗い土の中に潜り冬眠するだろう。

そう思うと、「最後の春」を惜しむように日向ぼっこをするヘビをむげに追いたてるのは気が引けて、その日からヘビのことはそっとしておくことにした。

シマヘビは毒もなく、いたずらに刺激しなければ何にも危害を加えてくることはない。

さほど目立つ場所にいるわけでもなかったので(どうしても人の出入りする場所にいる時はさすがに追いだした)、幸い生徒さん達に見つかることもほどんどなかった。
見つけても騒ぎたてる方はいらっしゃらず、そっとしておいてくださった。


ヘビも満足したのかここ数日は姿を見せなかった。
そういえば、朝晩ぐっと冷え込むようになった。そろそろ冬眠のねぐらにヘビは行ってしまったのかもしれない。

強い北風吹く頃にまた、郡山に帰ります。
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by buonaforchetta2 | 2012-10-23 11:51 | トルコ語 | Comments(2)

語学への誘い文句

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このラクダ、トルコ語教室にある売り物。
やたらキラキラしたキッチュな感じが愛らしく、いつも先生に値段を聞こうと思っている。

さて、いくらだったら買うか。
1500円だったら即買い、2000円だったらしばらく考えさせてもらう、3000円以上だったら絶対買わない、そんなビミョーに物欲をそそるこのラクダ。

以前は誰か先に買ってしまうのではと、教室にいく度びにハラハラしていたが、ここ半年ラクダは定位置をキープしている。
値段がいくらにせよ、知ってしまったらラクダに対する興味がうすれそうなので、しばらくはレッスンの度に眺めるだけにしておこうと思っています。

トルコ語もベンキョー始めて4ヶ月。
トルコ語も含め、語学学習について思うこといろいろあり。



10年前、イタリア語をはじめたときは、「イタリア語はローマ字読みだから簡単♪」という殺し文句を散々聞いた。
だけど、日本人の多くが決して超えることのできない壁にRとLの発音というのがある。
それに、ローマ字読みで発音できたからと言って、変化する冠詞、男性・女性名詞、人称による動詞活用、など迂闊に始めてみると難関が多い言語だった。
英語ってなんて効率のいい文法なのだろうとつくづく思いながら勉強したものである。


将来役に立つかなと、大学の時に2年も費やした中国語も始める時には「漢字だから親しみやすい」ともいわれ、それを闇雲に信じて中国語に勤しんだ時期があった。
中国語は漢字ながらも、文法は英語に近くとても勉強はしやすかった。
元は漢字だったので推測でわかる部分もあるし、読み書きはそこそこできたものの、肝心の発音が致命的だった。
漢字の読み、意味に頼り切った結果、ピンイン(中国語用のローマ字表記の読み仮名)がないと一切音声を発することができない自分がいた。
おまけに、中国語とは発音に四声なるイントネーションの変化によってものがあって、これが絶望的に難しい。
今だに橋と箸、柿と牡蠣のイントネーションの違いが分からない日本人にとって四声は無理というもんだ。
ペーパーテストで成績が良かったものの、朗読のテストでは散々で、再試験を受ける羽目に。最後はヒステリーな中国人の女教師に
「アナタ、ナニイッテルカワカラナイヨ!!!!!」
と本気でブチ切れられる始末。切れられてまで中国語を勉強する義理は無いので、逆ギレした私はそのテストを放棄し、貴重な2単位分をフイにし、後味悪く中国語と縁を切った。

さあ、今取り組んでいるトルコ語はどうだろう?
あります、あります、誘い文句。

「トルコ語は日本語と同じ語順だから日本人には覚えやすい♪」

トルコ語の参考書の最初のページにはそんなことが必ず書かれている。
でもねー。トルコ語、語順こそ日本語と同じかもしれないけど、動詞活用がイタリア語とおんなじくらい複雑。


はたまた、日本語の「てにをは」にあたる接尾辞もあり、日本語と共通点の多い言語ともある。
でもね。日本語の「てにをは」はくっつけるだけでいいけど、トルコ語の場合ただくっつけりゃいいてもんではなく、トルコ語の難関ともいわれる「母音調和」なるものがあって「最後の母音によって接尾辞を変化させ」なくてはいけない。
常に韻を踏むことを大事にしている言葉のように思える。

私にとってトルコ語は常に韻を気にする、日本語と同じ語順のイタリア語的複雑な動詞活用を要する言語なのだ。


何が言いたいかというと、テキストの歌い文句の「◎×だから簡単♪」というのは、言語の特徴の一個を言っているにすぎず、どの言語も習得するにはそれなりに勉強せねばならんということでした。


明日、トルコ語レッスンで、宿題を6ページも出されてちょっとうんざりしており、ちょっとそんなことを思ってみたのでした。


フランス語、ドイツ語、ロシア語などはどんな言語学習への誘い文句があるのだろう?
それに騙されたことがある(笑)既習者の皆さん教えてください。
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by buonaforchetta2 | 2012-09-30 10:45 | トルコ語 | Comments(2)

王道は・・・・

昨日は思い切ってアホな事を書いてしまったのですが、

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毎日ダジャレを考えて一人でクククと笑っていると思われたらこまるのでちゃんとしたお話。
ワタシハノグチサンジャアリマセン

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本格的にトルコ語を始めて2ヶ月。鬼テキストのおかげで暗記済みの単語はざっと数えただけで500はゆうに超えた。(わざわざ数えてみたヒマな私)

そんな中で語呂合わせで覚えたのはわずか数パーセントなので、対したウェイトは占めてないのです。

一番いい覚え方は何度も聞くこと。

 イタリア語の時もそうだったが、一番手っ取り早く単語を覚えるのは、リスニングしながら、会話を丸暗記することだ。聞き取れるまで何十回もCDを聞きながら、目でテキストを追う(文法の疑問点、は事前に解決し、訳文は先に頭にいれておく)。
 その日はわからないまま終わっても、2~3日おんなじ作業を繰り返すと、わからなかったのがウソのようにその会話文の聞き取りができるようになっているので、この作戦はお勧め。


聞き取れるようになってきたら、こんどはシャドーウィングすると、口も慣れてくる。
その言葉独特のリズムや韻があるので、耳と口の下地ができれば単語を覚えるペースは上がってくる。

文法は骨、語彙力は肉。
トルコ語教室では、先生に骨作りを手伝ってもらっている。一度できた骨に肉をつけていくのが、1人でもできること。
なので、今は語彙力を増やすのに時間を割くようにしている。
 
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by buonaforchetta2 | 2012-08-20 15:14 | トルコ語 | Comments(0)

トル単暗記法

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楽しいトルコ料理教室のあとで(しかもビール飲んじゃった)、トルコ語教室でした。

テキストはアンカラ大学の付属の語学学校のものを使っています。
アンカラ大学はトルコの東大みたいなものなので、その付属の語学学校もレベルが高い。
そんなわけでテキストも、1ページにつき、新出単語が多い時で20個くらいは平気で出てくる。
調べるの大変。オニ~~~~~~。


事前に先生にも「ビシバシやってください」とお願いしてあるので、予習復習をしないと、授業中「????????????????」ワールドに突入してしまうので毎回必死。
(私は完全プライベートレッスンに通っているので、予習復習していないとすぐにバレるのだ)
 
出てきた単語は全部覚えてから次のレッスンに望むのが暗黙のルールとなっている。

でも、そうそう一発で覚えられるもんでもない。
そんな時に役立つのが

語呂合わせ

受験生の王道ですな。
古文単語なんかは、マドンナ古文でお世話になりました。
しかし、トルコ語に単語語呂合わせ本なんて出版されていないので(それでなくても、トルコ語の学習テキストは少ない)、自分で作って覚えるしかない。

私、そうじゃなくても、昔から語呂合わせ作るのがスキ。
高校生の頃は、菓子パン1個で買収されて、友達に自作の世界史B語呂合わせ暗記ノートをコピーさせてあげたものだ。友人の間ではとても重宝された暗記ノートだった。
年号だけではなく、人物とその偉業をセットで覚える技など、かなり傑作に近い暗記方法の数々を収録したあのノート、既に存在しないと思われるが、あれがあればきっと今頃「真夏の世界史B 楽々暗記」とかいう名前の参考書が出版されていたかもしれない。今頃、年収数億円の売れっ子予備校講師になっていたかもしれないと思うと、あのノートを失ったのは実に残念である。

そんな詮無い事をいっても仕方がない。
予備校講師になれなかった現在、何やら必死でトルコ語単語を暗記しなかればいけない状況になっている。
昔取った杵柄で、セコセコとトル単語呂合わせに勤しんでいる。

ココで私の傑作集を皆様に披露。(だれもトルコ語興味ないって・・・・)

■Kalkmak(カルクマック;起きるの原形)

朝起きて、軽くマック。(寝起きに朝マックを食べるイメージで。朝からマックは軽く無いじゃん、という突っ込みでこの単語が印象に残る!)

■Geziyor(ゲジヨール;GEZMEK(散歩する)の三人称単数)
ゲジゲジ夜散歩。

薄暗い中這いつくばるゲジゲジを想像しただけで、もーー、キモチワルッ。忘れられません。

■yatmak(ヤトマック;横になる・寝る・休むの原形)
やっと枕で横になる。

■oluyor(オルヨル:olmakの三単現)
これは文章にして覚えちゃう。
o evde oluyor エブデ オルヨル
家に居(お)るよー。 そのままσ(^_^;)



■izlemek(イズレメック; 注目する・見る)
(新人女優などをテレビで見ている設定で)
いずれ、芽が出るだろうと注目する。



■yabancı(ヤーバンチュ;外国人)
外国人は野蛮人。

*ちょっと問題フレーズ!?南蛮人なんて言葉、日本にありますからね・・・。

■okul (オクル;学校)
学校に送る。

■masal,manav (マサル=話、マナヴ=八百屋)
勝(マサル)の話では、学(マナブ)は八百屋になったそうだ。

*へえー、あの学がねぇ・・・というニュアンスで覚える。
これを学ぶの話では・・・と逆に覚えちゃうとタイヘンなことになるので注意。


■halı (ハル;じゅうたん)
トルコ絨毯は値が張る。 *事実です。


!ご注意!
語呂合わせはあくまで思い出すきっかけ。正しい発音と、動詞は時制・人称によって活用が必要なのでそれらは地道に覚えなければいけません。



さて、君は何個覚えたかな?????

好評だったら、第2弾があるかも???
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by buonaforchetta2 | 2012-08-19 14:54 | トルコ語 | Comments(2)

Türkçe öğreniyorum トルコ語を習っています1

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実は数年前から、ずーーーっとトルコ語とトルコ料理を勉強したいと思っていました。
2006年にトルコ旅行に行って以来、ずっとトルコ料理が気になっていたのです。
でも、それ以降は、おかげさまで本業のイタリア料理教室が盛況で、時間がとれず気持ちだけのまま数年が過ぎてしまっていました。

それでも昨年の秋、「よし、そろそろやるか!」とトルコ料理の本とトルコ語の本を買って、ちょこっと勉強していました。
そんな矢先のえなりくんの大阪転勤。調べたら大阪ってトルコ関係のお店や教室が充実していることが判明。

まさしく渡りに船。望めば叶うのです。
そのようなわけでここぞとばかりに大阪にいる間はイタリアはちょっとお休みで、トルコに没頭しています。

トルコ料理のお話はまた今度するとして、今回はトルコ語について。
来年あたり、トルコにお料理を習いに行きたいと思っているので語学は欠かせません。

料理だから、見ればわかるという考えもありますが、私はそうは思わないのです。
その国を一番理解できるのは料理と言葉だと思うのです。
言葉の仕組みや成り立ちを勉強するとその国の背景が見えてきます。
お料理を知るだけじゃなくて、お料理を作っている人とコミュニケーションを取れることでまた違った角度でその料理や背景が見えてくるんだと思います。



学生のときに「原書講読」なる授業が多々あり、英語で経済学の原書を読んだり訳したりするのをしょっちゅうやっていましたが「こんなの、和訳本よめばいーじゃん。メンドクサー」と思いながら受けていました。(私は経済学部ではないのに・・・)

でも、そのあと、イタリアに興味をもって、イタリア料理をやりたくなったときに、いろいろ調べて行くうちに日本語で書かれている資料に不満がでてきました。原書ならいっぱい資料があるから読みたい、直接話せれば一番いい・・・・と思い、イタリア語の勉強をがんばるようになりました。
原書を読むというのはそういうことか、と学校を卒業してからその意義を初めて知った次第です。

イタリア語を始めたときは「イタリア語で飯が食えるくらいになろう」と志高く勉強にはげんでおりましたが、あれから10年。イタリア語で飯は食えてないけど、イタリア語で飯が作れるようになったので、まっ、いいか・・・と勝手に納得しています。

そんなわけで、話はイタリア語にそれてしまいましたが、来年トルコ料理を勉強しに行くまでに、トルコ語を一通り話せて、まずはトルコ語で飯を作れるくらいになるように、猛勉強中でございます。




ちなみに写真はアラビア語なので、トルコ語じゃありませーーん。
コーランの一節がかかれているらしい。




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 ╋╋╋      9月の料理教室の空き情報はこちらから。
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by buonaforchetta2 | 2012-08-05 12:03 | トルコ語 | Comments(0)